スタッフト・ヒューマン(3)

 

 

//城ヶ根 巳久里 【大ホール】

 

 

 

 

絢爛たるシャンデリアに、格式高いベルベットの赤絨毯。

蕩けるような花の香りも、目がくらむような上質な輝きも。

息を呑む隣人の気配さえも、何もかもが頭に入ってこないくらい「それ」は凶悪的な存在感を醸し出していた。

今見ているものが夢じゃないというのなら、僕たちはもっと現状を悲観的に捉えなければならない。

「これってさ、やばいよね」

「はは、こりゃあ全く。あのお嬢ちゃん頭がイってるわ」

おそらく、これを目にするのは生まれて初めてのことだろう。

なにせ時代錯誤のアナログ装置だ。こういうものにロマンを感じるほど僕は楽しい人間ではない。

「ギロチン、ですよね。これ」

 

規格外の高さを誇るその処刑機は、この広いホールのどこにいても僕たちを睨めつけて首を攫うチャンスを伺っていた。

「あれを見てると首がスースーしてかなわん」

六郎さんは首に手をやりながら奥の方へと歩いていく。とりあえず僕たちはこの異質なホールをそれぞれで探索することにしたのだった。

──それにしても、この部屋は本当にわけがわからない。

僕たちの押し込められていたカプセル室とは違って、まさに「お姫様が住んでいるお城」といった体の内装をしている。

見上げたところに豪奢な飾りのついた窓枠があるが、その奥にあるのは空ではなく乳白色の壁だ。

自分たちが地下にいるのかも、高い階上にいるのかもわからない。ただ理解できるのは、金のかかった施設にいるということだけ。

床に転がっているファンシーなぬいぐるみたちは何のために配置されているのだろうか、流線が彫り込まれた柱は建築的に必要だから立っているのだろうか。

もはや何に意味を見出していいのかさっぱりだ。

「僕、階段の方も見てくるよ!行こう、ミネットちゃん」

ヘンリーさんはいつも通りの調子で探索を続けられているようだ。大事そうにミネットの手を握っている彼を見ていると、まるで兄のようだなと思う。

巳久里は目をつけていたテーブルの方へと近づく。たとえここが頭のおかしな場所でも、絶対記憶を取り戻すために手がかりを掴んでやる。

シワのない白い敷物の上には、メインディッシュを入れるような大きさの皿と一枚のトランプが乗っかっていた。

「ギャンブラーの…胴体?」

トランプの表に印刷されていたのは絵柄ではなく、不可解な文字だった。ひょっとしたら、他のテーブルにも同じようなものが乗っているのかもしれない。

「おーい、そろそろ情報整理といかねえか?」

ちょうど対角線上にいる六郎さんがそう声をかけてきた。彼の手にも、トランプが握られている。

 

 

ギャンブラーの胴体 、研究者の腕 、エンターテイナーの足、に、××××の首 か」

「何かを暗喩しているのか、あと考えたくないですけどそのまま人間の、という可能性もありますね」

「ええっそういう怖いこと言うのやめてよ!」

六郎さんが片眉をあげ、ヘンリーさんがビクゥッ!と後ずさりする。そういう印象は受けなかったがヘンリーさんは結構怖がりなんだろうか。

確かにすぐ近くにギロチンがあればこの仮説に現実味も湧いてくる。だからと言って震えるほどではないと思うのだけど。

「やっこさんは試練と言ったが、何らかの課題をこなしてこれを揃えれば道は開かれりって感じだろうな」

六郎さんはそう言いながら何やら手放せないもののようにトランプをいじっている。

「でも、トランプは4枚なのに扉は3つしかないよね。階段の上のを数えるなら別だけど」

確かにそれが気になるところだ。このホールには電子ロックがかかった扉が3つと、中央奥の階段の上に僕らの身長よりひとまわりもふたまわりも大きい両開きの扉が1つある。

階段の上にあるのは次のステージへの入り口、のようだとは思う。しかしこういう決めつけた考えはいずれ落とし穴になってしまうかもしれない。

「でも、全部閉まっているんですよね──」

 

なかなか次への行動に踏み出すことができない。そう思っていると、ピンポンパンポーン、と軽やかな音がホール内に響いた。

「やっほー!みんな、いい具合に頑張ってるね!シェミーだよ!」

続いたのは、頭が痛くなるような首謀者の高らかな声だ。

「もし諦めて引きこもっちゃったらどうしようかなって思ったけど、手間をかけなくてもよさそうね!うんうん、さすがシェミの見込んだ人たち!

心の準備はよさそうだから、いよいよ始めちゃう!そうしましょう!」

「おい、シェミー!お前──」

「言っておくのを忘れちゃったけど、必要以上に私のぬいぐるみを傷つけちゃダメよ?そんな悪い子にはめっ!だからね!」

放送音声はそれっきりで切れてしまう。相変わらず自由な…人、でいいのだろうか。

いつの間にか右奥にある部屋のランプが赤から緑へと変わっている。

きっと試練はこれから始まるのだ。

 

シェミーの一方的な放送が終わったきりヘンリーさんは、ずっと俯いたままだった。

どうしたのか、と聞くことはない。ここにいる全員がこの先に起こることを恐れているのだから。

 

 

 

 

 

 

次回 ヘンリー 【エリオットの部屋】

 

 

 

 

 

 

 

スタッフト・ヒューマン(2)

 

 

//ヘンリー 【真っ白な部屋】

 

 

 

どうやら僕は、子供が好きらしい。

語弊があるかもしれないけれど、不安そうにしている彼女を見たときに心から喜ばせてあげたいって思った。

見てくれがこうなのもきっとそういう仕事をしていたのだろう、何も記憶がないのにもう一人の僕を演じるのにもあまり抵抗がない。

僕の手を彼女は弱々しく握っている。少し、心がこそばゆい。

 

 

一行が自動ドアをくぐり抜けると、白い部屋は途端に暗転しパッと立体映像が目の前に現れた。

「ハロー!みなさんご機嫌いかが?シェミーの国へようこそ!シェミーはみなさんを歓迎します!」

華やかな衣装を身にまとったツインテールの少女がくる、くる、くるりと楽しそうに回る。

「うふふ、あなたたちはたくさんの条件をくぐり抜けてきた特別な人達!なんと、ぬいぐるみしか入れないこの国に入る権利を得たの!はい拍手、パチパチ~!そして、これから待ち受けるのが最後の試練!これをくぐりぬければあなたたちは無事この国の国民になれるわけなのです!」

突然の出来事に全員が反応しきれなかった。というか、状況がまるで飲み込めない。

「ちょっとちょっとぉ、反応が薄くない?悲しいなあシェミ、せっかくみんなを驚かせようとして用意したのに」

コロコロポーズをとったかと思えば、シュン、と残念そうに首をもたげる。紺色の髪がふわりと揺れた。

「…これは一体どういうことだ、何かのドッキリか?番組の企画か?こういうふざけたことはやめて俺たちを帰してくれ!」

「ふざけてないよ、本気だよ」

異を唱えた六郎さんに、さもなんでもないことのようににまりとしながらシェミーという少女は答えた。

どうしてだろうか、この突拍子もない芸風に少し覚えがある。

「この試練の目標は無事にシェミーの部屋にたどり着くこと!私の部屋に着いた時、もしこの国に住むのが嫌で私のお城から出ていきたいって思うなら、出口の鍵をあげてもいいわ。私は大好きなぬいぐるみちゃんのためなら何だって与えてあげる」

つまりここから出るためには、うろんな彼女の要求を必ず汲まねばならないということだろうか。

意図は全然伝わってこないけど、よからぬことを強制させられているのはわかる。

 

「おいちょっと待て」

六郎さんが先ほどとは違う神妙な口ぶりでシェミーが次に何か言おうとしていたのを遮った。

「何?」

「なあお嬢ちゃん、俺たちは…会ったことがあるな?」

思わず「えっ」という声が出る。ヘンリーではない僕の声だ。

「…僕もちょうどそういうことを考えていました。僕と、六郎さんと、あなた。面識があるはずです、おそらくは」

巳久里くんもどこか煮え切らないような目をして口を開く。

「…ええ?なになに?僕たちを置いて二人とも記憶思い出しちゃったの?」

「いいえ、思い出せません。何かあったはずなのに、わからない。どうしてあなたはこんなことを」

焦りが出て、茶化そうとしたが失敗した。巳久里くんはとても辛そうにしている。

「さっきから何を言っているのかしら?」

シェミーはどこからともなくステッキを取り出して、僕たちに差し向けた。

「シェミーはこの国のお姫様よ?生まれた頃からこのお城から一歩たりとも出てないわ。だ・か・ら、私たち初対面なの」

まるで心を許した友達に向けるような笑顔でシェミーは続ける。

「ミネットちゃんや、ヘンリーちゃんはいいとして、六郎ちゃんとみくりちゃんにはもっと可愛い名前を考えてあげないとね?」

 

 

 

「困った」

「困りましたね」

「困ったなあ」

シェミーとの通信が切れてしばらく経つが、四人はまだその部屋に立ち尽くしていた。

今おかれた状況を整理し、どう行動すべきかを考えあぐねているところだ。何も知らなかった時とは違う緊張感がこの場を支配している。

「あの、六郎おじさんとみくりくんはシェミーさんと本当に会ったことがあるの?」

話が頓挫したところでミネットが口を開いた。そういえば彼女の声を聞いたのは久しぶりかもしれない、難しい話を邪魔をしないように黙っていてくれたのかな。

「ああ、かなりインパクトの強いお嬢ちゃんだからな。間違えるはずもないさ」

「僕たち、彼女に恨みでも買っていたのでしょうか。でもあれ、何か違和感があるんですよね」

巳久里くんはシェミーが投影されていた場所を睨みながら続ける。

「人間味が感じられないというか、確かに見た目は彼女なんですけど、音声もなんか雑だったというか…」

「なんだ?言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「…はい、あれはコンピューターによってつくられたビジュアルイメージなんだと思います」

「ええっとそれってつまり?」

「要は偽物です。シェミーはこの城に二人いると言ったらわかりやすいでしょうか」

まだ不確定事項ですが…と言って顎に手をやる。巳久里くんはどうやらこの手のことに詳しいらしい。

「ここまでするなんてよほどの技術力を…。おそらくは僕たちが目指す部屋にいる方のシェミーの差し金でしょうが、しかし…」

 うーんうーん、とすっかり考察に熱が入っている巳久里くんをよそに、僕も少し気になっていることを口にした。

「実は僕も彼女のことを見たことがあるんだ。でも会ったとかじゃなくて、一方的に知ってる感じで。あの子、アイドル?とかじゃなかったのかと思うんだけど」

「確かにそうだったかもな。そもそもそういう見た目してるし」

やっぱり、と思う。

突如にして世間からいなくなってしまったインターネットアイドル、シェミー。姿を消した人気者。姿を消した…。

「おい、大丈夫か?ヘンリー、おいこら」

なんだろう、すごくモヤモヤする。耳の奥がぐるぐるして気持ち悪い。いやだ、なあ。僕は何も悪くないのに。

ああ、なんて人間は恐ろしいんだろう。ああ、なんて人間は心が狭いのだろう。目に見える世界がおぞましい。

「大丈夫?ヘンリー君?」

ミネットの声にはっとする。心配そうにこちらを見る目は、真っ赤な夕日のように揺れていた。

「ううん!大丈夫だよ!ヘンリー君はいつだって元気さ!」

そう片手を掲げてみせる。いけないいけない、彼女を心配させてはいけない。

ヘンリー君はいつだって子供達に笑顔を届けなきゃ。

「…あのなあ、お前さん顔が見えないからわからないんだよ、急に固まったから気分でも悪くなったのかと思ったぞ」

あは~?何言ってるの六郎君!僕にはこんなにキュートな顔があるじゃあないか!」

「ま、お前さんがそれでいいならもういいけどさ…」

あれ?もうつっかからないんだ、と拍子抜けする。奇妙な着ぐるみ男なんてどうでもいいと思われたのだろうか。

「よし、もう考えてもしょうがないな。試練とやらはどんなもんか知らないがさっさと先に進んでやろうじゃないか」

「?六郎さん、なんか元気ありますね」

「そうかぁ?まあ、お前らがどんなやつか大体わかってきたし!年長者がいつまでもヘタレちゃあ詮無いだろ」

六郎さんはなにやら吹っ切れたように伸びをして、ニヤリと笑った。

 

 

//  【倉庫】

 

「お、なんだこれ見覚えあるな」

先ほどの白い部屋に隣接した、物置部屋のような場所。シェミーが挑戦者への餞別よ!と言っていたけれど。

「これ絶対僕のですっ」

部屋の真ん中にあるテーブルには僕たちの愛着あるものが乗っていた。記憶はなくともこういうことは無意識下で判別がつくらしい。

馴染みのあるものを手にすると味方が増えたようでなんだか安心する。使い古された黄緑色の裁縫箱、中身は無事だ。

「ミネットちゃんも何かあったかな?」

「ううん、みんなみたいにこれだ!っていうのはここには無いわ」

軽い気持ちで訊いた僕に、少し寂しそうな笑みを見せる。

ああ、シェミーというやつは人が悪い、極悪だ。彼女だけに大事だったものを一つも用意してあげないなんて、残酷すぎる。

「あっ!そうだ」

なんて頭の良い思いつきだろうか、これは僕だったらきっとできる。

「?」

裁縫箱をぱかりと開け、針に糸を通す。必要なものはす全て目の端に映っていた。

「大丈夫、ちょっと待っててね。ミネットちゃん」

 

「なんだなんだあ?」

「ヘンリーさん、見かけによらず器用なんですね」

「くまさん…」

よしできた。やっぱり、記憶がなくとも潜在能力は衰えていないらしい。思ってたより何倍も早く、このぬいぐるみを作り上げることができた。

「ミネットちゃん、はいどうぞ」

ヘンリーは桜色の可愛らしいクマをミネットに渡す。華奢な彼女の腕にあまることのない、赤いリボンをつけた小さなテディベア。

ミネットはぽかんとしながらそれを見つめている。

「これ、私に?」

「もちろん!そのクマくんは、ミネットちゃんのお友達。大事にしてくれるかな?」

少女は感極まったように、なんどもコクコクと頷く。ああ、元気になってくれたみたいで良かった。

「なるほど。では僕もミネットさんに贈り物をしましょうか」

どこか納得がいったように、巳久里くんが赤い工具箱をあさり始める。きっと彼の大事なものはあれだろう、ガチャガチャと触っているだけで随分楽しそうにしている。

「ミネットさん、どうか僕にお友達を貸してくれませんか?悪いようにはしませんよ」

巳久里くんは聞きようによっては物騒な文句を言い放つ。彼の手には布や綿と正反対の、鉄で出来たゼンマイが握られていた。

「ちょっとみくりくん」

危険を感じて声をかけるも、いいからいいから、と巳久里くんはせっかく作った新品のぬいぐるみをいじり始める。

 

 

「……」

途中までは止めさせようと思った。なんだってこの人はふわふわの綿の中に金属をねじ込んでいるんだ…と。

だけどその手つきはさっきの僕のものと同じに見えて、止められなくなっていた。

巳久里くんはまるで手品師のように銀色の部品たちを華麗に操っている。

「ヘンリーさん」

素直に見とれていると、急に話しかけられて「はっ!えっ⁉︎」と素の声を出してしまった。

「誰ですか今の声…まあいいです。もうすぐ終わりそうなのでここの布の処理お願いできますかね」

巳久里は古いタコの出来た指で背中の方を指差す。「さすがにここは専門外なので」と、真剣に訴えている。

「うん、できるけど…」

よく見ればぬいぐるみの損傷は少ない。形も崩れていないし、直すべくは指示された簡単なところのみだ。

きっと気を使って作業をしてくれたのだろう。つい、自分の仕事がリスペクトされているみたいで嬉しくなる。

「お願いします」

再び針を握り、なるだけ彼の作ったカラクリを壊さないように、慎重に縫製をした。

…なんだかこういうの、わくわくするなあ。

 

「それではミネットさん、そのゼンマイを回してみてください」

「う、うん」

ミネットは恐る恐る、きらりと光るハート型のそれを回し始めた。

ジイ、ジイ。小気味の良い音が彼女の手の中で響いている。その瞬間を待ちに待っている時、自分でテディベアを手渡した時とは比べ物にならないくらい胸の高揚を感じた。

「!くまさんが動いた!!」

先ほどまではちょこんと座っていたぬいぐるみが、ぽてぽてとゆっくり歩み出す。

ミネットは信じられないものを見るように、顔を輝かせてなんども僕たちとくまを見返した。

「すごい、すごいよ巳久里くん!」

僕も彼女と同じになって喜ぶ。我が子が成長したみたいで、もはや涙ぐましくもあった。

「ふふ、歩くだけじゃありませんよ。実はランダムで3つの動きをする仕組みを取り入れたんです」

「「すごーい!!」」

「たいしたことはありません、きっと記憶のある僕のに比べれば些細な仕事ですよ」

そう言いながら彼も心半ば嬉しそうだった。

「キラキラでふわふわで、こんな素敵なクマさん本当にもらっていいの?」

ミネットはまだ信じられないようで、必要以上に問いかけてくる。もはやそれは愚問だろう。

「もちろんだよ」と言うと、彼女は僕たちに駆け寄ってきてそれぞれの手をやわらかく握った。

「お兄さんたちありがとう!私、この子をずっとずっと大切にするね!」

花のような笑顔を咲かせて、たたた、とからくりテディベアの元へ戻っていく。彼女は今までの中で一番いい顔をしていた。

「いやあ、モテモテだなあお嬢さん。二人の男から同時にプレゼントをもらうなんて、たいした女の子だ」

僕たちからの贈り物を抱きしめるミネットの頭を、六郎さんは「よかったなあ、うりうり」と撫で回す。

「おう、そうだ巳久里殿。もののついでに電子タバコでも作ってみねえか?」

「たぶんできますけど、材料と制作費を先におよこしくださいね」

「ええ!金取るのかよ、俺も寂しいんだよ口がよ~。絶対これだけじゃ足りねえよ~」

「ものづくりをする人に対してそれは大間違いだよ六郎くん。そういうのは、人でなしのすることだよ」

「うわ…なんだよお前ら。オジサンに厳しいな~」

 

 

 

…ああ、いいなあこの感じ。どうやらこの人たちは信頼できるみたいだ。

世界がおぞましいなんて、僕はきっと寂しい奴だったんだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

次回 城ヶ根 巳久里 【大ホール】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタッフト・ヒューマン (1)

スタッフト・ヒューマン

 

1  シェミーの国へようこそ

 

 

 

 //賽目六郎  【カプセル部屋】

 

 

人間は嗅覚で感じたものが記憶に一等深く残るのだったか。明瞭に思い出せずとも、この空間の異質な匂いには確かに覚えがある。

「それでお前たちに聞きたいんだが」

ひやりとした緊張感。

誰かに見捨てられたような孤独感。

そして相対する人間への不信感。

感情のない鉄の機械等と、白々しく光る照明が所在のないいきものたちの恐怖を煽っている。

「本当に何も覚えていないんだな?」

「ええ、名前以外は何も。ただ少しこんな目に前もあったようなあわなかったような…という感じです」

口早に説明するのは、城ヶ根巳久里と名乗る青年だ。まだ若いのだろうが、その割には口調も性格も不自然に堅いような気がする。

「僕も僕がヘンリー君ってことしかわかんない!困ったなあ!」

明らかに場違いなテンションで声を上げ、大げさな身振りで首をかしげるその男は、ああもう、こいつ、こいつは…!

「…困ったさんはお前さんだろうが!」

がしり、とそいつの頭を掴みもぎとらんとする。この場で一番怪しいのはこいつだ。もしかして、こんな怪しいところに俺たちを連れてきたのはこの着ぐるみ男じゃないのか?

「やっやめてよぉ!中の人なんていないよぉ!!」

思いのほか本気で抵抗され、ミチミチ、と布が悲鳴を上げている。うわ、なんだこのうさぎの化け物は。

「お、おじさん、やめてあげて!ヘンリー君、かわいそうだよ…」

「六郎さんお気持ちはわかりますが、彼女の夢を壊すのも憚られますし…」

少年少女の制止で渋々力を緩める。握っていたところが少したわんでしまったようで彼は大事そうにそこをさすっている。

この冗談みたいな存在は一体なんなんだろうか。自らのことをヘンリーと名乗るこのピンクの着ぐるみ男はさっきからふざけた調子で絡んでくる。この危機的な状況で、嫌に楽観的すぎるし顔が見えない時点でこいつに対する不信度は加速度的に増加中だ。いっその事全部引っぺがしてやりたかったが、彼は死に際の虫如くの抵抗を見せるのだ。

「絶対お前なんか隠してるだろ」

「もう、本当に何も覚えてないよって言ってるじゃないかあ!六郎くんはしつこいなあ」

「…二人とも喧嘩はやめてください、ミネットさんが怖がっているでしょう」

半ば呆れ顔で城ヶ根が注意を促す。確かに、傍らにいる少女は不安そうに目を瞬かせていた。

「あわわ!ごめんね、ミネットちゃん。君も何も覚えてないのに、こんなに騒がれちゃあ嫌になっちゃうよね」

「は?なんで俺が悪者みたいな…」

「ほら!僕たちこんなに仲良しだから!ね!」

否応無しにがっし、と肩を組まれる。よもや生理的嫌悪が何より先に湧いたが、少女を気遣うところを見るとこいつはすごく悪い奴ではないらしい。

ヘンリーの必死の弁明に、赤髪の少女は「よかった」と顔をほころばせた。

 

「しかし、ここは一体どこなんでしょう…?」

一同は改めて周りを見る。長い廊下に沿って並ぶたくさんのカプセル。俺たちはそこから一斉に出てきたのだった。

窓はなく、何一つ文字も見当たらない。完璧な閉鎖空間で、まるでSF映画のセットの中にいるようだった。

カプセルの中に他にも人がいた形跡がちらほらと見られたが、だからと言って何のためにここにいるかの答えはない。

「カプセルには、何かの薬液を流し込むチューブがありましたが…これのせいで僕たちは記憶をなくしたのかも」

「うーん、よくわからないけど、この機械見てるとコールドスリープって言葉が思い浮かぶなあ」

現状、推測を垂れ流すだけで確定的な進展がない。この堂々巡りを終わらせるためには勇気を出してここから出るほかはないのだ。

 この長廊下の両端には扉があった。片方は頑丈そうな鉄の扉で、蹴破ることはどうやっても無理そうなつくりをしていた。

背の低いミネットが鍵穴を見つけたが、それも複雑な形をしており記憶喪失者のピッキングでは到底敵わなさそうだった。

「で、あれば。あっちに進むしかなさそうだな」

六郎はもう片側の方向を指差す。透明なガラスの自動ドア。通ることは容易そうだが、何か良からぬことが用意されているような、そんな悪い予感がした。

他の三人も同じなようで、微妙な顔をしている。(一人は表情に出ていないが)

「いえ、そうですね行きましょう。いつまでもここにいて記憶を思い出せないのが嫌だ。何だか自分について知らない自分でいるのが、とても心苦しい、気がします」

「そうだね、あちら側に何か手がかりがあるかもしれない。それにミネットちゃんを早くおうちに帰してあげなきゃ」

…ヘンリーはよくその少女を気にかけていた。今更ではあるが彼女の赤髪と赤い目、その人形のような白い肌は常識から逸脱しているものだと思う。顔立ちは西洋的だが、流暢に日本語を喋っているから日本育ちなのだろうか。

正直、赤スグリのような彼女の目をまっすぐ見れる気がしない。不躾ながら、彼女と視線が合わないことに少し安堵している自分がいる。

それなのにあの男は平然としゃがんで目を合わせながら彼女に語りかけるのだ。よほどの楽観主義者なのか…いやもしかしたら目がよく見えないのかもしれない。

ミネットは何かを気掛かりに思うようにもじもじしてこう言った。

「私みんなの役に立てないと思う、ううん、もしかしたら足を引っ張っちゃうかも。それでもお兄さんたちについていっていいの?」

「大丈夫、ここにいるみんなが君を守ってあげられるから、ほら手をつなごう?」

こういうやりとりを見ていると、こいつを怪しむのをやめたくなってしまう。しかしまだ彼への疑念が晴らすことのできない自分を見ていると、少し己が疎ましくなっていく。記憶が戻ったら、俺は相当悪いやつに変わってしまわないだろうか?本当はこの中で一番悪人なのは自分なのではないだろうか?

城ヶ根ではないが、自分が何者かがわからないというのは足がすくむ思いだ。

六郎は緊張で汗ばむ手をポケットにしまう。

 

彼は知る由もない。自分が誰かわからない恐怖などは、数時間の彼にとって取るに足らない些細な感情であると。

 

 

次回 ヘンリー 【真っ白な部屋~倉庫】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタッフト・ヒューマン 

 

スタッフト・ヒューマン

 

プロローグ 

 

 

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 2019/05/16 04:23:51

SHEMMY02:これで私たちは終わりね

SHEMMY02:最後の最後まで、私は私をわかってあげられなかった

SHEMMY02:私はあなたの愛が理解できなかった

SHEMMY02:完璧じゃないって、こんなに寂しいのね

SHEMMY02:さようなら、シェミー

SHEMMY02:またどこかで会えたなら

SHEMMY02:私があなたを

 

 

 

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